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株式会社FIO

2016年11月6日

毎日農業記録賞 優良賞受賞≪舩木翔平≫


皆さま、こんにちはFIOの舩木です。

このたび、毎日新聞社主催の毎日農業記録賞(2016年)において「優良賞」をいただきました!

農業に関わるきっかけから今に至るまでの出来事や想いを書きました。ここに至るまで多くの方々と出会い、支えられ、協力して頂き、今の活動ができております。大変嬉しく思います。この場を借りて、感謝申し上げます。本当にありがとうございます。以下が今回優良賞をいただきました作品です。稚拙でやや長い文章ですが、どうぞ、ご覧ください。


≪東京で農業を始めてからの多くの出会い≫

舩木翔平

畑を見た感動から始まった

「農業をやろう!」と決めたのは、大学4年生の時の秋でした。それまでは、農業を仕事とすることは全く考えていませんでした。農業高校、東京農大と進学したが、農業そのものは専門分野ではなく、高校の時は、造園土木が専門であり、大学の時は森林・林業が専門でした。ところが、あるきっかけで「農業をやりたい」と思う出来事がありました。それは、大学4年生の時、地元の農業体験イベントのスタッフの一員として参加したことです。丘一面が畑と森で覆われ、そこに集う多くの子供たちがサツマイモ堀りをして、はしゃいでいました。それを見てとても感動し、今でもその風景が鮮明に記憶に残っています。その時期は、大学卒業してから何をやろうか就職について、ずっと悩んでいた時でした。過去の自分を思い返しながら、何度も何度も自問自答し、出た答えは「町の活性化や地域振興」でした。町の活性化には、第一次、第二次、第三次産業すべての産業が組み合わせて、はじめて持続的なものになると考えました。先ずは、そこで自分が担う役割や農業と思い、一般企業への就職はせずに新規に農業をはじめる決意をしました。そして、大学卒業式直前に八王子市役所農林課へ出向き「農業がしたいのですが、どうすればよいでしょうか?」と動いたのが、私の農業への道の始まりです。

とは言っても、直ぐに農業が始めることはできず、農業研修を始めるところからのスタートとなりました。両親に相談したところ、母親の同級生の農家でお世話になる事になることができ、野菜作りやトラクターの操作方法など、色々と教えて頂きました。それから1年ほど経った頃から、新規就農するための農地探しをすることになります。八王子市内の農家を数件紹介して頂きましたが、なかなか農地を貸していただける農家の方に出会えず半年ほど経ちました。そして、最後に出会ったのが酪農家の鈴木亨さんです。私が思った第一印象は、「1人でよく喋る迫力あるオジさんだなぁー」という感じです。二回目に会った時、二人でじっくりと色々と話していくうちに意気投合し、農地を貸して頂ける事になりました。後から聞いた話ですが、鈴木亨さんは「ただ野菜作りする者には、あまり興味なく畑を貸すつもりはなかった。」と言っていました。それは、これからの農業は野菜作りだけ絶対に続くないと考え、里山、地域住民、様々な方とのつながりの中で維持され、活用されていくべきものだという考えがあったからです。これは、私も同じように考えていました。その後、鈴木亨さんに「畑作業や田んぼなど、何でも手伝います!これは、いつ収穫ですか?田植えは、いつですか?」と言い、私はすぐに仲間を呼び集め、農作業や牛舎の清掃などを始めました。ようやく農地が見つかったところで、新規就農の手続きを始める事になりました。しかし、手続きは簡単に進まず、八王子市や東京都の農業担当行政の方々のご協力により無事手続きが完了しました。農業を始めると動いてから2年の月日が経ち、新規就農する事ができました。

 

1人の力と仲間の力

当初借りた畑は、10アール程だったため、生産するだけでは、収入的には厳しいと思い、宣伝も兼ね、農業体験イベントを何度か企画し、多くの方を受け入れるようしました。初めて企画したイベントが蜂蜜収穫体験イベントでした。facebookだけで宣伝し、当初15名くらいを想定していましたが、最終的には40人近い参加者が集まり、とても自分1人では運営できない規模になり、急遽友人や後輩らを呼び、10名ほどをスタッフとして手伝ってもらう出来事もありました。初めて企画したイベントが想定の倍以上の参加者になり、大変嬉しかったですが、イベント運営するには、一緒にやってくれる仲間が必要なことをとても感じました。イベントを開催するまでの準備や当日の参加者とのやり取り、駐車場の案内、全体の流れの管理など、自分自身少々パニックになりながらの運営になりました。終わったあとは、疲れ果てていたことを覚えています。何度か人が集まるようなイベントを開催していくうちに関わってくれる人達が増えるようになりました。この頃から、ビジネスとして共に動いてくれる仲間を探し始めます。とはいえ、すぐに見つかるわけありません。色々な人と出会い、その中で唯一共感し、一緒に仕事をしようと自ら来てくれたのが、大神と伊藤です。この3人がのちの株式会社FIOの立ち上げのメンバーになります。出会って半年ほどの3人が「東京から農業を変えたい!」「会社名は何にする?」「事業計画は?」全てが初めての事で何も分からず、想像ばかりを膨らまし、語り合いました。そして、2013年2月に株式会社FIOを設立します。

 

FIOの始まり

会社設立後、本格的に事業が始まりました。先ず、野菜作りをして困ったことは、販売先です。野菜作りをして販売先が決まらずに捨ててしまう事は、避けたいと思い、売り先を決めてから、それに合わせた生産をしようと考えていました。しかし、これもまた思うようにいかず、悩んでいました。数か月後、知人の紹介でサツマイモを大量に作って欲しいという話があり、すぐにその話にのりました。畑を何も作らない置いておくのは、もったいないと思い、50アールの畑全てをサツマイモ畑にしました。これが一番初めの試練の始まりです。サツマイモ作りは、他の野菜に比べ手間は、かからない方でしたので、サツマイモ自体は、無農薬で栽培していたこともあり、一部虫のかじったあとがあったりしましたが、大半は綺麗にできました。しかし、ここからが問題でした。当初、機械で全て収穫する予定でした。ところが、収穫したサツマイモを販売先へ見せたところ「機械で収穫すると傷が付くので、機械を使わないでほしい」と、連絡がきたのです。ここから毎日、人力収穫作業が始まりです。人間芋掘り機になったように、朝から晩までひたすら収穫し続けました。最終的に7トンものサツマイモを人力で1ヶ月半程かけて収穫することになるのですが、儲かるとは程遠いところからスタートでした。今では、いい笑い話です。

その年の後半から、イベントや地域のお祭りなどで野菜販売してほしいという依頼が増え、そのために様々な種類の野菜作りを始めました。その結果、地域の方や飲食店の方など、反響がとても大きく、あちこちで野菜を販売して欲しいと依頼が増え、その結果、野菜を使いたい飲食店が増え、取引が一気に増えていきました。また、FIO立ち上げ当初から雑誌や新聞の取材依頼も頻繁にあり、メディアの力も借りて発信力を最大限使い、知名度を上げていきました。しかし、雑誌等のメディアに掲載やfacebookでの発信では、地元地域への発信に弱く、地元での認知度を上げるためには、こちらから出向き野菜を販売をしたり、地域のお祭りやイベントに参加したりし、地元でのネットワークも大事だと思い、様々な方々との繋がり作りました。2年目へ突入し、ひたすらに野菜を作っては、あちこちで野菜を販売し、農業体験の受け入れなども積極的に企画してきました。農業体験のイベントでは、野菜の収穫体験だけではなく、畑で音楽ライブをやったり、畑作業をする婚活イベントをやったり、採れたて野菜のBBQやピザ窯で焼き立てピザパーティーなど毎月様々な企画のイベントを実施してきました。毎回、30名以上の方々にいらしていただき、多いときは100名近い時もありました。そこでは、多くの出会いがあり、様々な業種の方との接点ができたことを大変嬉しく思っています。日々野菜を作り、農業体験のイベントなどを企画し、多くの方々に農業に触れてもらうことができ、この地元八王子に皆が集い自ら楽しめる農場が実現できたことを大変嬉しく、今までの出会いにとても感謝しています。

 

生産者と消費者との関わり合い

新規就農してから今まで、野菜を作るだけではなく、自分自身の立場と他の人との立場との関係を分かり合い、理解し合う場を作りたい思ってきました。この畑で作られる野菜は、毎日誰かが食べ、多くの方の日常の一部を作っています。私は、日常生活の一部を手助けし、食を提供している立場です。しかし私は、ただ食べ物を作る生産者ではなく、それを食べる消費者との関係を「生産者と消費者」という相対する関係ではなく、互いの立場を分かり合える機会を作りたいと思っています。元々、日本人の大半は農家であったため、生産者と消費者という概念はなかったと思います。だんだんと農家が減り、いつからか生産者と消費者という立場に分けられ、それぞれが当たり前の様に役割を与えられ、相対する関係に見えています。農業体験のイベントなどで普段触れない畑へ来て、非日常的な時間を過ごし、生産者の立場を少しでも感じられ、その一人ひとりとの出会いを大切にしながら、伝えたいと思っています。「農業をやろう!」と大学4年で決めた時、スタッフとして参加した農業体験のイベントは、いまでは、その当時のその風景のみが頭に浮かぶだけですが、よく考えると、生産者と消費者が互いの立場をわかり合う非日常的な出会いの機会でもありました。いま思うと、あの時の私は、自分自身がぼんやりと夢見ていた農業の原型に触れ、それに感動していたのかもしれません。そして、その感動をかたちにするために、試行錯誤を繰り返してきたのだと思います。

農業に関わってから数年間、多くの方との出会いの中で色々と考えさせられ、得るものはたくさんあります。「食」は、誰もが関係するものです。つまり、誰とでも繋がれるツールとしての「食」であると言うことです。食があるから、出会いがあり、食卓に会話が生まれ、人と人との関わりの基本が農業という生活にあると、自分自身が身をもって感じた農業です。