多摩ニュータウンの里山と農業の役割 論文
ブログ - 2014年02月12日
昨年(2013年)、多摩ニュータウン学会に投稿した論文です。多摩ニュータウンでの農業と里山の役割について書きました。やや長い文章ですが、どうぞご覧ください。個人的な考えですが。。。
多摩ニュータウンの里山と農業の役割
Funaki Shohei 舩木 翔平*
キーワード
農業,人材育成,地域づくり,持続可能な社会
目 次
1.はじめに
2.多摩ニュータウン19住区
3.農業者育成
4.多摩ニュータウンと農業
5.「農」と「食」
1.はじめに
1965年に計画された多摩ニュータウンは,時代とともに次々と開発され,八王子・町田・多摩・稲城の4つの自治体にまたがる広大な住宅地が形成された.日本の社会が大きく変化していく中での多摩ニュータウン開発事業であり,過去に例のない事業であった.多摩ニュータウンが計画された大半の地域は,純農村地域であった事から農業を基本とした生活をする住民がほとんどであった.この一方的な開発計画に対して,八王子市堀之内の酪農家を中心に反対運動が始まった.その結果,八王子市の堀之内に約4haの地域が開発されず里山風景がそのまま残される事になった.現在,このように残された貴重な里山風景を次の世代が維持・管理をしていく活動が動き始めている.
2.多摩ニュータウン19住区
多摩ニュータウンは,21の住区に分けられ開発が進み,現在も人口が増え続けている.この多摩ニュータウン開発が行われる中,開発反対運動が行われていた.開発反対運動が始まった場所は,19住区の地区である.この19住区は,八王子市堀之内にあたり,東京都の酪農の発祥地という事もあり,多くの酪農家が存在していた.この反対運動の中心的存在が鈴木昇氏である.鈴木昇氏を代表とした任意団体「ユギ・ファーマーズ・クラブ(正式名称:由木の農業と自然を育てる会)」は,開発反対と訴えるだけでなく,地元住民と周辺市街地に住む新しい住民との交流を目的とした農村を目指し,活動を続けてきた.そして,現在の八王子市堀之内寺沢の農家の生活を守り,里山・自然環境を将来へと受け継ぐ道筋を作り上げた歴史がある.
ユギ・ファーマーズ・クラブは,ユギ・ファーマーズ・クラブ編1994『「農」はいつでもワンダーランド』の中で,19住区の将来像して「アグリ・ニュータウン構想」を提唱している.この19住区は,代々酪農家や養蚕家などが多く,自然環境と密着した生活である事から,これらを生かし,「人と人」「自然環境と人」を基本とした町づくりを計画した.この構想の中では,乳製品の加工施設,農業後継者育成施設,農業・酪農体験農園,クラインガルテンなどの施設を充実させ,農業生産だけに限らず,農家の持続的な経営と都市における農業という視点を取り入れ,周辺地域の環境を十分に配慮した計画になっている.この「アグリ・ニュータウン構想」の実現の為,3つのプロジェクトが計画された.①どんぐりの森づくり,②ユギ・ファーマーズ・コーポレーションの設立,③ユギ・ファーマーズ基金の創設と活用である.①どんぐりの森づくりとは,多摩丘陵に自生するどんぐりの木の苗を周辺地域(ニュータウン地域)の住民が育て,その苗を皆と一緒に植樹し,ニュータウンの森づくりを行うものである.②ユギ・ファーマーズ・コーポレーションの設立は,生産者の農家と消費者の都市住民が一体となった協同組合の形態に似た事業体の設立を計画したものである.事業内容としては,低温殺菌牛乳,チーズ,バターなどの乳製品や,草木染めによる絹織物などの生産及び販売である.③ユギ・ファーマーズ基金の創設と活用は,地域住民や企業から資金を集め,自然環境の保全と管理の為に運用されるものである.以上,3つの具体的なプロジェクトが計画された.当時,イベントとしていくつか実施されていたが,各プロジェクトを組織化して動くまでには至っていない.
3.農業者育成
この八王子市堀之内寺沢に残った農地や雑木林は資源である.住宅開発予定地であった土地に現在ある自然環境は,大変貴重なものであり,今後どのように保全していくかが課題である.これらを活用するには,今まで活動してきた人達だけでなく,次の世代達が集まり中心となっていかなければならない.しかし,雑木林の保全活動や農業を従来通り行うだけでは,経済的に持続性がなく,これら資源が地域において必要性がなくなる可能性さえ出てくる.その為にも地域住民の生活の一部または,経済的活動の一部として,持続的活動を生み出さなければいけない.
前項で紹介したユギ・ファーマーズ・クラブ編1994『「農」はいつでもワンダーランド』には,堀之内寺沢の将来像として,現在においても通用する内容が多く書かれている.当時の構想をもとに現在において,具現化可能なものを実行する事が次の世代の役割と考える.その中でも特に注目したい項目は,「農業者の育成」である.
年々,東京近郊において,農業・酪農体験や農業研修・新規就農などの需要は高まりつつあり,メディアにも多く取り上げられている.法律面においては,2009年に農地法及び農業経営基盤強化促進法の改正により,個人や法人に対して農業参入がしやすくなった.しかし,都市近郊においては,その受け入れ体制が整っていないのが現状である.その為に農業者を育成する体制を整えることは,農業者を育成するとともに,地域の農業,そして,現在の自然環境を持続的に保全するためには,不可欠である.ただし,これから農業をやりたいとしている人に対して,単に農業者育成の体制や仕組みを整え,農業生産の技術を教えるだけの農業者の育成としたら不十分である.農業は,地域との関わりがとても強い業種であり,また,地域によって農業のやり方が全く違う.その地域の歴史,土地に合う作物,ニーズなど,これらの諸条件を理解し,農業生産や経営を行わなければならない.これらの諸条件を理解せず,農業生産のみの農業者では,今後,持続的な農業経営を行っていくことは,難しいと考える.農業者一人一人が自立した農業経営を行い,そのもとで農業生産を行う人材を育成しなければいけない.
4.多摩ニュータウンと農業
堀之内寺沢に残った農地や自然環境の事を多摩ニュータウンに住む人達に対して,特別な存在にしていかなければ,存在意義が薄れる可能性がある.これは,ユギ・ファーマーズ・クラブが長年行なってきた活動であり,農地や雑木林を所有する農家と新たに移り住んできた住民との繋がりをつくり,堀之内寺沢の存在意義を高めていた.しかし,これらの活動を行なってきた人達の高齢化とともに活動は,縮小していってしまった.
このような活動を持続的に行う為には,里山保全や環境保全活動だけでなく,これらの保全活動する人達の生活がその地域になければいけないと考える.これらの保全活動を行う事で農村風景を残し,その結果,地域に住む人達の生活の一部となるような仕組みをつくる必要がある.その中心的存在に位置づけている場所が「YUGI MURA Farm“おっさん牧場”」である.
先ず,多摩ニュータウンと農業との関わりで行うべき事が世代交代である.YUGI MURA Farm“おっさん牧場”は,筆者が堀之内寺沢に新規就農した事をきっかけに動き始めた.この地域周辺には,明星大学・東京薬科大学・中央大学・恵泉女学園大学など,多くの大学が存在する為、京王堀之内駅周辺に住む学生も多い.その為,学生らを集め,活動する事に適しており,学生らにとっての活動としても最適な立地である.学生らが活動の中心メンバーとなる事で堀之内寺沢地域に変化が起こる.それは,学生らが自発的に堀之内寺沢へ訪れ,活動する事で地元住民との関わりが生まれ,また,SNS等の情報共有手段を使う事により,世界中に情報発信する事が可能になる.この活動を基本的な仕組みとして,運営していく事が第一段階と考える.
この次の行動としては,周辺地域のニュータウン地域に住む人達への情報発信である.2013年現在,まだ堀之内地域は住宅開発を行っており,住民の年齢層も割と低い.つまり,子育て世代という事で,「食」に対しての意識が高いという事である.自分たちが住む身近な地域に豊かな自然環境があり,畑があり,新鮮な野菜を手に入れる事ができる場所であると認識してもらう.これは,堀之内寺沢のイメージづくりでもある.堀之内寺沢という場所は,里山や畑が集まる自然環境を肌で感じる事ができ,多摩ニュータウンの中でも特別な地域になる必要がある.これにより,堀之内寺沢地域の存在する意義が高まり,多摩ニュータウンにとって大事な一部となる事ができる.しかし,このような流れをつくる為には,何よりも時間が必要である.時間をかけ,それぞれに正確な情報を伝え,堀之内寺沢での活動が見える存在にある様に努める事が重要である.
5.「農」と「食」
町づくりには,色々な方法がある.しかし,どこの場所でも同じものが通用するわけではない.その地域にある資源は,そこにしかなく,地域色を出す大切なものである.筆者が考える「町づくりの基本」となるものは,「食」である.「食」がなければ生きていけない.その「食」は,「農」から生まれる.これらの関わりの中で「町(村)」が形成され,人々の生活が成り立つ.つまり,その地域には,どのような「農」そして,「食」があるかを注目する事で持続可能な社会の実現の切り口が見いだせると考える.
今後も堀之内寺沢地域の発展に自ら関わる事で,地域の大切なものを見つけていきたい.
◆参考文献
ユギ・ファーマーズ・クラブ編1994『「農」はいつでもワンダーランド』学陽書房